【わかりやすい】今日は何の日?

365日の記念日をわかりやすく紹介します

【1月5日 記念日】囲碁の日〜今日は何の日〜

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1月5日は「囲碁の日」です。「囲碁の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

囲碁の日

「囲碁の日」は、囲碁の棋士を統括する公益財団法人日本棋院(にほんきいん)が制定しました。

1月5日である理由は、「い(1)ご(5)」(いご)と読む語呂合わせからです。

囲碁の普及と拡大を願い、これを実現していく記念の日として制定されました。

日本棋院では毎年、1月5日に「打ち初め式」として、囲碁ファンと棋士との交流イベントを実施しています。

 

囲碁の歴史

誕生は中国?インド?

囲碁の起源については、はっきりしていませんが、約4000年前にインドまたは中国で生まれたといわれています。当初は、古代中国の皇帝が、囲碁を創って子どものしつけのために教えたという説や、碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、「暦」や「占い」に使ったという話があります。少なくとも春秋時代には成立していたようで、『論語』や『孟子』の中には碁の話題が出てきます。この時代の紀元前770年~紀元前221年頃には、囲碁は戦略、政治、人生のシミュレーションゲームとして広まったようです。

日本への伝来

奈良時代

囲碁が日本にいつ渡ってきたかは、はっきりとはわかっていません。
奈良時代の735年に、「吉備真備(きびのまきび)」が遣唐使として唐から持ち帰ったという話があります。しかし、既に636年の隋書・倭国伝には日本人が囲碁を好むことや、701年大宝律令・僧尼令などにも囲碁のことが記されている為、日本への伝来はそれ以前からということになります。

日本最古の碁盤と言われているものが、奈良の東大寺大仏殿の北西にある正倉院に保管されています。正倉院には聖武天皇の遺品や当時の記録・品物が多くおさめられていますが、中には碁盤や碁石も保存されています。碁盤は3面、碁石は4種類が保存されていています。碁盤は3面のうち、「木画紫檀棊局」(もくがしたんのききょく)が最も有名です。

平安時代

平安時代には、日本で最初に「碁」の文字が用いられたとされる「古事記」、それから「風土記」「懐風藻」には碁に関する記事が記されています。紫式部(むらさきしきぶ)の「源氏物語(げんじものがたり)」、清少納言(せいしょうなごん)の「枕草子(まくらのそうし)」などに登場し、囲碁は貴族の遊びとして親しまれました。

鎌倉・室町時代

鎌倉・室町時代に入ると、貴族の遊びだったものが、武士や商業、農業の人の間でも広まっていきました。

織田信長は、日蓮宗僧侶の「日海(にっかい)」がさす碁を見て、「名人(めいじん)」とたたえたという逸話があります。

「日海」は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に囲碁をもって仕えました。

「日海」は本能寺の変の前夜、信長の御前で日蓮宗僧侶の「利玄」と対局した際、めずらしい囲碁の形である「三コウ」ができ、無勝負となったといいます。「三コウ」を不吉の前兆とするのはこの話からです。

江戸時代

家康が征夷大将軍となった際、「日海」がお祝いにきて、家康と五子で対局をしています。その後、家康の指示で「日海」は寂光寺を弟の「日栄」に譲り、隠居して「本因坊算砂」と名のり、「名人碁所(めいじんごどころ)」に任ぜられました。幕府は「本因坊算砂」らに俸禄を与え、プロの棋士が誕生がしました。そして、1626年(寛永3年)には「御城碁(おしろご)」がはじまります。「御城碁」は囲碁の家元四家の棋士により、徳川将軍の御前にて行われた対局です。毎年1回、江戸城で対局が行われ、徳川吉宗の時代には家康の命日にちなんで、毎年11月17日と対局日も決められ、江戸幕府が終わるまで続けられました。

明治以降

明治維新以降は公の棋士(囲碁の専門競技者)はいなくなり、一時衰退しましたが、1924年(大正13年)、本因坊家を中心に「日本棋院」が発足します。初段から九段までのプロ棋士を認定し、本因坊戦をはじめ、各種名人戦を新聞社とともに主催し、囲碁の普及と向上につとめています。