1月13日は「ピース記念日/たばこの日」です。「ピース記念日/たばこの日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。
ピース記念日/たばこの日
「ピース記念日/たばこの日」は、1946年(昭和21年)の1月13日に、高級たば「ピース」が初めて発売されたことに由来しています。
当時の値段は10本入り7円。日曜・祝日に1人1箱で限定して販売されました。
たばこの歴史
たばこの始まりはどこ?
まず、たばこの元となるタバコという植物についてですが、ナス科のニコチアナ属の植物で、現在、世界で最も多く栽培されているのはニコチアナ・タバカムという学名の種となります。このニコチアナ・タバカムは、ボリビアからアルゼンチンの国境にかけてのアンデス山脈を原産としており、そこから伝播して南北アメリカ大陸全域において使用されるようになっていったといわれています。
たばこははじめ、主に宗教的な行事に用いられたようです。中央アメリカのマヤ族では神への供物としてたばこが使われており、僧が乾燥した野性のたばこの葉を火にくべて、その煙を吸っていたと言われています。これが次第に一般の人々にも広まり、さらに他の中南米の地域にも広がっていきました。そして喫煙方法も、民族の風習の違い等によって、たばこを竹や動物の骨を利用して吸ったり、葉を巻いて吸ったりと変化していきました。
たばこの広まり
そして、日本では室町時代の1492年(明応元年)に、コロンブスがアメリカ大陸を発見して上陸しました。この時に原住民からたばこを貰ったことで、その喫煙習慣がスペインに伝えられたと言われています。スペインに渡った喫煙習慣は、その後はヨーロッパ各地へと、特に貴族の間で広まっていくことになります。それと同時に、たばこの栽培もヨーロッパで行われるようになりました。
19世紀半ばには、イギリスでマッチが造られるようになり、たばこへの点火が容易になったことと、第一次産業革命起きて、紙巻たばこの大量生産が始まったことで、喫煙習慣が一般庶民にも急速に広まっていきました。
日本への伝来
日本にたばこが入ってきたのは、1543年(天文12年)の鉄砲の伝来とともにポルトガル人によって伝えられたと言われています。日本にたばこが伝わった頃は、鹿児島の指宿(いぶすき)や出水(いずみ)、そして長崎付近でタバコの栽培が行われており、その後次第に各地へと栽培が広がっていきました。それと共に喫煙習慣も各地に伝播していったと推測されています。
江戸時代のたばこ
1601年(慶長6年)にキリスト教伝道師が、徳川家康にたばこの種子を送ったことから、たばこを医薬品と聞きつけた家康が、たばこの栽培を奨励したことから、さらなる広がりを見せます。
しかし、当初はたばこの栽培を奨励していた江戸幕府ですが、米の作付け面積が減少することを危惧して、1605年(慶長10年)を皮切りに数回にわたり、たばこに関する禁令を出しています。この時の禁令の理由は「タバコは害多し」としています。ただ、幕府による度重なる禁令にも関わらず、たばこを楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代となる寛永年間(1624〜1645年)に入ると、たばこに課税して収入を得る藩も現れ、たばこの耕作は日本各地へ広まっていきます。やがて、禁令は形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄年間(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなりました。
こうしてたばこは庶民を中心に嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなっていきました。江戸時代の人々は、刻んだたばこをキセルで吸っていました。当初は刻みも粗いものでしたが、次第に喫味がやわらかな細刻みたばこが好まれ、定着しました。また、たばこ盆やたばこ入れなどの喫煙具が作られるなど、日本独自の喫煙文化が発展しました。
明治時代のたばこ
明治時代に入ると、外国から様々なたばこが輸入されました。その中でも、紙巻たばこ(シガレット)は、目を惹くパッケージデザインと手軽さが広く受け入れられ、国内でも製造されるようになりました。
明治中期になると、たばこ産業は問屋制手工業から機械制工業へと近代化が進み、個性的な商品と広告宣伝で力をつけたたばこ会社が台頭します。
明治後期には、政府が国家の財源確保のため、たばこに関する法律を次々と制定し、たばこ産業は国営化されることとなりました。
その後も紙巻きたばこ市場は成長を続け、大正時代には、その製造量は刻みたばこを上回ることとなりました。
昭和時代のたばこ
戦争の風潮が高まっていった昭和10年代以降は、パッケージの簡素化、英語の使用禁止を受けた名称変更、さらには割当配給制の導入など、戦争の影響を大きく受けていきました。戦時中は、軍隊でさえたばこは配給され、兵士達は僅かの精神的余裕をたばこに託したと言われています。海軍用語の「タバコ盆出せ!!」は一日の勤務を終えた事を示す 一種のシグナル、つまり一日の任務終了と私的自由がほぼ奪われた空間における何ともいえない安堵感を得ていたと思われます。
その後、戦争も終わり、大蔵省専売局が行っていた専売事業は、1949年(昭和24年)に発足した日本専売公社に引き継がれました。日本が高度経済成長を経る中で、多様化する価値観へ対応するため、新しい商品の開発や広告などの販売促進に力を注ぐようになり、様々な銘柄が誕生しました。
1985年(昭和60年)、市場開放を求める声や行財政改革の動きから、専売制度が廃止され、日本たばこ産業株式会社(JT)が誕生しました。たばこ事業法により、日本産の葉タバコの全量買取契約が義務付けられています。また、たばこ製造の独占権が認められています。このたばこ事業法により、日本たばこ産業株式会社(JT)は日本でたばこを製造している唯一の会社となり、販売シェアは約60%にものぼります。