【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

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【1月29日 記念日】昭和基地開設記念日〜今日は何の日〜

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1月29日は「昭和基地開設記念日」です。「昭和基地開設記念日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

昭和基地開設記念日

昭和基地開設記念日は1957年(昭和37年)の1月29日に、南極のオングル島に上陸した日本の観測隊が、基地を開設したことを記念して制定されました。

昭和基地の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなんでいます。南極には日本の観測基地として、昭和基地のほかに、みずほ基地あすか基地ドームふじ基地があります。

 

昭和基地について

昭和基地はどこにある?

日本から直線距離で約14,000km離れたリュツォ・ホルム湾東岸、南極大陸氷縁から西に4kmの東オングル島にあります。南緯69度00分22秒、東経39度35分24秒。日本との時差は-6時間です。 この島は、1年を通して海氷に覆われていて、海氷の薄い夏を除いては、大陸へは雪上車で上陸することが可能です。 観測隊は通常オーストラリアまで飛行機で行き、西オーストラリア州のフリーマントルで、南極観測船しらせ(2代目)に乗り込みます。 12月上旬にフリーマントルを出発したしらせは、夏期間に行う設営作業の準備、安全講習、海洋観測などを行いながら昭和基地に向かい、12月下旬ごろに到着します。 そして、南極の短い夏が終わる2月上旬には、しらせは越冬隊員を残して昭和基地を離れ、往路と同様に海洋観測等を行い、観測隊は3月下旬にオーストラリアで下船し、飛行機で帰国します。

昭和基地はいつにできた?

1957年から1958年は国際地球観測年で、世界各国が協力して南極大陸を観測・調査するようになりこれに日本も参加しました。1956年(昭和36年)11月8日に、第一次南極地域観測隊(永田武隊長以下53名)を乗せた「宗谷」は、東京港晴海埠頭を出発しました。翌年の1957年(昭和37年)1月29日20時57分、隊員のうち17名が東南極のオングル島に上陸し、この地域を観測隊の主基地と定め、「昭和基地」と命名しました。当初は4棟しかなかった観測施設は現在、大小現在68棟の建物の他に貯油タンク、貯水タンク、通信用アンテナを設営しています。

昭和基地には何人くらいの人がいる?

昭和基地には南極地域観測隊員が約60名ほど滞在しています。夏の3ヶ月期間、南極に滞在する人たちを「夏隊」。1年通して滞在する人たちを「冬隊(または越冬隊)」と呼び、夏隊冬隊で約30名ずつで構成されています。

昭和基地での食事は?

食材は日本やオーストラリアで購入して、昭和基地に運び込みます。観測隊員の中に調理師がいて、バランスが良く、飽きない献立を工夫して提供しています。ラーメン、カレーなども楽しめるほか、周辺の海氷に穴を開けて釣った魚が食卓に並ぶこともあります。また、持ち込んだお酒を飲むこともできます。ただ、生野菜はすぐに無くなってしまうため、昭和基地内に水耕栽培装置を設置して、レタスなどの葉物野菜を栽培しています。

昭和基地ではどんな観測をしている?

気象や電離層など長期間に渡って継続的に行われる定常観測と、スポット的に行われる研究観測があり、オーロラの観測などがか研究観測に当たります。南極地域には地球環境変動を把握するために必要なセンサーの役割があり、継続的な観測が重要とされています。

日本が行なってきた南極観測や研究・実験での大きな功績のひとつがオゾンホールの発見と言われています。オゾン層は地上から10〜50km上空にある成層圏にあって、太陽の光に含まれる有害な紫外線を吸収して、生物から守っていますが、1982年(昭和57年)に、日本の気象研究所が南極上空のオゾンが減少しているのを発見したことで、オゾンホールの存在が広く認識されるようになりました。当時、日本の研究者はオゾンが破壊されてしまう原因まで特定することができず、その後、アメリカの研究者によってその原因が解明され、アメリカの研究者はその功績によりノーベル化学賞を受賞するに至りました。