【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

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【2月5日 記念日】職業野球連盟設立の日/プロ野球の日〜今日は何の日〜

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2月5日は「職業野球連盟設立の日/プロ野球の日」です。「職業野球連盟設立の日/プロ野球の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

職業野球連盟設立の日/プロ野球の日

「職業野球連盟設立の日/プロ野球の日」は1936年(昭和11年)2月5日に、全日本職業野球連盟が結成され、プロ野球が誕生したことに由来します。

当時に結成されたのは以下の7チーム。

・東京巨人軍(現在:読売ジャイアンツ)

・大阪タイガース(現在:阪神タイガース)

・名古屋軍(現在:中日ドラゴンズ)

・阪急(現在:オリックスバファローズ)

・東京セネタース

・名古屋金鯱軍

・大東京軍

1936年(昭和11年)2月9日に名古屋鳴海球場で開催された、東京巨人軍vs名古屋金鯱軍が日本におけるプロ野球第1戦となりました。

 

「プロ野球の父」正力松太郎

1936年(昭和11年)2月5日に、全日本職業野球連盟が設立され、今のプロ野球にまで発展していますが、この設立に大きく寄与した人が正力松太郎(しょうりきまつたろう)です。

明治から昭和時代を生きた内務官僚、警察官、実業家、政治家です。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれています。また、プロ野球の父テレビ放送の父原子力の父とも呼ばれ、日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで有名な人物です。

生まれ

1885年(明治18年)4月11日に富山県射水郡大門町(現在の射水市)に父庄次郎、母きよの次男として生まれました。

実業家になるまで

1912年(明治45年)に内閣統計局に入局。そして、翌年の1913年(大正2年)には警視庁に入庁。堀留、神楽坂の署長などを経て、第一方面監察官となりました。刑事課長、官房主事、警務部長と恵まれたコース を歩みましたが、1923年(大正12年)に虎ノ門事件が起き、当時警視庁警務部長であった為に引責辞職をします。

実業家としての正力松太郎

その翌年の1924年(大正13年)2月、破産寸前の読売新聞の経営を引き受けないかという話が正力に持ち込まれます。友人の後藤圀彦(のちの京成電鉄社長)と 河合良成(のちの小松製作所社長)が、番町会の郷誠之助(東京株式取引所理事長)に正力を推薦したのです。官界にいて新聞の影響力を目の当たりにしていた正力は、後藤新平(内務大臣兼帝都復興院総裁)から10万円を借り入れて、読売新聞の経営権を買収し、読売新聞社の7代目社長に就任しました。意表をつく新企画の連発と積極経営により社勢を拡大し、当初二流紙扱いであった読売新聞を、1941年(昭和16年)に発行部数で朝日新聞・毎日新聞を抜いて東日本最大の新聞となりました。

プロ野球の父

当時二流紙扱いだった読売新聞が大きく成長をさせるきっかけにもなったのが、プロ野球の誕生です。日本のプロ野球を設立させたのも、この正力です。

1931年(昭和6年)に、正力が中心となって、メジャーリーグ選抜チーム(アメリカ)vs強豪大学チーム(日本)の試合を開催しました。メジャーリーグ選抜軍を日本に招待し、全日本代表チームや六大学を中心とした強豪大学チームとの試合を開催し、それが大盛況に終わります。そして、正力は再度、メジャーリーグ選抜軍の招待と、前回に叶わなかった今でも野球の神様と謳われているベーブ・ルースの来日を目論みましたが、1932年(昭和7年)に文部省が発令した大学の野球を取り締まる野球統制訓令によって、メジャーリーグ選抜を招待したとしても大学チームを対戦相手とすることはできなくなってしまいました。

そこで、大学チームがだめならば職業野球チームを結成しようという考えが生まれます。1934年(昭和9年)6月9日、当時の有力実業家によって作られた法人団体日本工業倶楽部職業野球団発起人会が開かれ、翌2日後の6月11日には創立事務所が設けられました。1934年(昭和9年)10月15日、千葉県の谷津海岸に新設された谷津球場に30名の選手が集まり、ついにチームは結成されます。同年の11月2日、横浜にメジャーリーグ選抜チームが来日し、全日本代表チームと親善試合が行われました。試合は全日本代表チームの15戦全敗という結果でしたが、ベーブ・ルースらを擁したメジャーリーグは読売新聞の報道もあって大きな注目を集めました。そして、同年の1934年(昭和9年)12月26日、この全日本代表チームの選手を中心にした選手19名で、大日本東京野球倶楽部(だいにっぽんとうきょうやきゅうくらぶ)が結成されました。これが、後に巨人軍の前身となるチームとなります。この日を記念して12月26日は「プロ野球誕生の日」「ジァイアンツの日」とされています。

これ以降、新聞とテレビなどのメディアを活用して、職業野球(プロ野球)を日本に根付かせました。1949年(昭和24年)には日本で初めてプロ野球コミッショナーに就任しています。 没後、その野球界に対する功績を記念してプロ野球界に貢献した関係者を対象とする「正力松太郎賞」が設けられました。正力の遺訓は、「巨人軍は常に強くあれ」「巨人軍は常に紳士たれ」「巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」でした。