2月7日は「長野の日・オリンピックメモリアルデー」です。「長野の日・オリンピックメモリアルデー」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。
長野の日・オリンピックメモリアルデー
1998年(平成10年)に公益社団法人日本青年会議所北信越地区長野ブロック協議会が制定しました。
2月7日である理由は、1998年(平成10)2月7日に長野冬季オリンピックの開会式が行われたことに由来します。
長野冬季オリンピックの理念のひとつに「自然との共生」があることから、オリンピック後の長野県の自然を考える日にとの願いが込められています。
1998年長野冬季オリンピックについて
長野オリンピックの概要
1998年長野オリンピックは、1998年(平成10年)2月7日から2月22日まで日本の長野県長野市を中心とする地域を会場として開催された20世紀最後の冬季オリンピックです。この長野は冬季オリンピックの歴代開催地の中では最も南に位置する緯度の地域でした。
72の国から選手・役員4638人が参加し、延べ144万2700人の観客が会場に集いました。
長野オリンピックの競技会場は長野市、白馬村、山ノ内町、軽井沢町、野沢温泉村に配置され、このうち人口が最も多くて県庁所在地でもある長野市が主催都市となりました。
長野オリンピック開催までの経緯
1985年(昭和60年)2月28日に信濃毎日新聞が長野県への冬季オリンピック招致キャンペーンを開始します。同年の3月25日に長野県議会はオリンピック招致決議を行いました。その後は、長野県内の全市町村も招致決議を行いました。
1988年(昭和63年)6月1日に行われた日本オリンピック委員会(JOC)の1998年冬季オリンピックの開催国内候補地選定投票が行われ、長野、盛岡、山形、旭川の4地域の中から長野が選定されました。
長野オリンピックの開催は、1991年(平成3年)6月15日にイギリスのバーミンガムで開かれた第97回国際オリンピック委員会総会で投票が行われて、長野(日本)、ソルトレイク(アメリカ)、エステルスンド(スエーデン)、ハカ(スペイン)、アオスタ(イタリア)の中から、長野が決定されました。
日本での冬季五輪の開催は、1972年(昭和47年)の札幌オリンピック以来26年ぶり2度目となりました。
長野オリンピックの開会式
天皇明仁・皇后美智子臨席の下、1998年(平成10年)2月7日午前11時から長野オリンピックスタジアムで開会式が始まりました。
総合演出(総合プロデューサー)は劇団四季の浅利慶太が担当しました。
善光寺の鐘の音を合図にスタートした。御柱祭の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱の曙の土俵入りが行われ、歌手の森山良子と子供達によりテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」が披露されました。
選手入場はギリシャを先頭にアルファベット順に行われました。入場の最後の日本選手団は県民歌でもある「信濃の国」に合わせて入場しました。
大会組織委員会会長の斎藤英四郎、国際オリンピック委員会(IOC)会長のフアン・アントニオ・サマランチが挨拶し、天皇明仁が「ここに、長野における第18回オリンピック冬季競技大会の開会を宣言します。」と開会宣言をして湯浅譲二作曲の『冬の光のファンファーレ』が演奏されました。
猪谷千春、笠谷幸生、金野昭次、北沢欣浩、長久保初枝、大高優子、橋本聖子、山本宏美の元冬季オリンピック日本代表選手8人がオリンピック旗を持って入場し、長野市児童合唱団の合唱でオリンピック賛歌が演奏され、オリンピック旗が掲揚されました。
雅楽による国歌演奏の後、クリス・ムーンと子供たちが聖火を持って入場しました。千葉真子(1997年世界陸上選手権10000m銅メダリスト)から河野孝典・阿部雅司・三ヶ田礼一(1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックノルディック複合団体の金メダリスト)の3人へ、そして鈴木博美(1997年世界陸上選手権女子マラソン金メダリスト)に引き継ぎ、ジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」の中の『ある晴れた日に』が演奏され、伊藤みどり(1992年アルベールビル五輪女子フィギュアスケート銀メダリスト)によって、聖火が点火されました。
オリンピック宣誓は、荻原健司(1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックノルディック複合団体の金メダリスト)と平松純子(フィギュアスケート審判)によって行われ、審判宣誓終了直後、子供たちのメッセージカードが入った羽ばたいているように見える3種類の鳩の形の紙風船が1,998個空に放たれました。
開会式のクライマックスは、長野県県民文化会館でのオーケストラとソリストに開会式会場と世界5大陸(北京、ベルリン、ケープタウン、ニューヨーク・シドニー)の合唱団が加わった衛星同時中継によるベートーヴェン作曲の交響曲第9番「合唱付き」第4楽章の演奏・合唱でした。指揮は小澤征爾が行い、この合唱は会場の観客や選手を含む全員が参加し行われるというオリンピック史上初の試みでした。さらに演奏終了に合わせて航空自衛隊のブルーインパルスが開会式会場上空で五色のレベルオープナー展示飛行を行いました。
長野オリンピックの日本メダル獲得
メダル数
計10個(金:5個、銀:1個、銅:4個)
金メダル
・船木 和喜(スキー・ジャンプ、ラージヒル個人)
・岡部 孝信、斎藤 浩哉、原田 雅彦、船木 和喜(スキー・ジャンプ、ラージヒル団体)
・里谷 多英(スキー・フリースタイル、女子モーグル)
・清水 宏保(スケート・スピードスケート、男子500m)
・西谷 岳文(スケート・ショートトラック、男子500m)
銀メダル
・船木 和喜(スキー・ジャンプ、ノーマルヒル個人)
銅メダル
・原田 雅彦(スキー・ジャンプ、ラージヒル個人)
・清水 宏保(スケート・スピードスケート、男子1,000m)
・岡崎 朋美(スケート・スピードスケート、女子500m)
・植松 仁(スケート・ショートトラック、男子500m)