【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

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【2月9日 記念日】ふくの日/河豚(ふぐ)の日〜今日は何の日〜

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2月9日は「ふくの日/河豚(ふぐ)の日」です。「ふくの日/河豚(ふぐ)の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

ふくの日/河豚(ふぐ)の日

1980年(昭和55年)に協同組合下関ふく連盟が制定しました。

2月9日である理由は、「ふ(2)く(9)」と読む語呂合わせから。下関では、河豚(ふぐ)は「ふく」と発音し、「福」と同音であることから縁起の良い魚とされています。

毎年この2月9日には、ふぐの豊漁や航海の安全、発展を祈る祈願祭が執り行われています。

 

ふぐの歴史

日本人とふぐの関わりはとても古く、今から約6千年前の縄文時代の遺跡である貝塚からは、多数のふぐの骨が発掘されていることから、ふぐは縄文時代から漁獲されていたことがわかります。しかし、農耕文化の発達により農作物が安定して手に入るようになったため、これらの食物への依存度が下がり、ふぐについての目立った遺物は発見されなくなります。また、平安時代の本草書である本草和名にも「布久」という名称でふぐが登場します。

その後、安土桃山時代では豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の際、九州名護屋(現在の佐賀県唐津市)に陣を構えた際、集まった兵士の中にふぐを食べて中毒死する者が相次いだため、「ふぐ食禁止令」を出し、ふぐ食を禁止しました。それ以来、ふぐ食の禁止は江戸時代を過ぎて明治期まで続くことになります。江戸時代では、幕府による禁止令が出され、また各藩もそれぞれ「ふぐ食用禁止の掟」を設けるようになりました。藩によっては厳しい取締りを行い、ふぐを食べて中毒死した場合は、家禄没収・家名断絶の厳しい処分が科せられました。ところが、下関では江戸時代を通じて日常的にふぐを食べていました。その光景は下関を訪れる旅人を驚かせていました。幕末の下関の勤皇商人であった白石正一郎の日記には、ふぐを酒の肴にしたことや、小倉藩にふぐを送ったことが記されています。また、ふぐの調理についても触れており、皮や骨をとり、身だけにして食べてたことがわかります。

明治時代に入り、この「ふぐ食禁止令」が解かれることになります。1888年(明治21年)に当時の総理大臣であった伊藤博文の働きかけにより、山口県のふぐ食禁止令が解禁されます。伊藤博文が下関を訪問し、春帆楼に宿泊した際、当日は天候が悪かった為にまったく魚が獲れませんでした。困った女将は、罰を覚悟でふぐを御膳に出したところ、伊藤博文はその美味を「一身よく百味の相をととのえ」と感嘆されます。これがきっかけとなり、伊藤博文は山口県令(知事)に対してふぐ食解禁を働きかけ、1888年(明治21年)よりふぐ食禁止令が解禁となり、下関では大っぴらにふぐが食べられるようになりました。これにより春帆楼はふく料理公許第一号店となり、その後、ふぐ食が全国に広まっていきました。