【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

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【3月1日 記念日】マヨネーズの日〜今日は何の日〜

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3月1日は「マヨネーズの日」です。「マヨネーズの日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

マヨネーズの日

マヨネーズの日」は、2015年(平成27年)に、マヨネーズをはじめとして、ドレッシング、ジャムなど数多くの食品を製造販売するキユーピー株式会社が制定しました。

3月1日である理由は、キユーピー株式会社が1925年(大正14年)3月9日に、日本で初めてのマヨネーズを製造販売したことと、日本初の「1」にちなんで、3月1日がマヨネーズの日となりました。

おいしく、栄養があり、安心して食べられ、さまざまな料理に活用できるマヨネーズをアピールすることを目的に記念日が制定されました。

 

マヨネーズの歴史

マヨネーズの発祥は地中海のメノルカ島

マヨネーズの発祥はメノルカ島(スペイン)と言われています。

当時イギリス領だったこの島にフランス軍が攻撃をしかけました。その時、フランス軍の指揮をしていたリシュリュー公爵が、メノルカ島マオンという港町の料理屋で、肉に添えられたソースに出会います。

リシュリュー公爵はそのソースを大変気に入り、後にフランスのパリで「マオンのソース」として紹介しました。それが「Mahonnaise(マオンネーズ)」と呼ばれ、それが訛って「Mayonnaise(マヨネーズ)」になったと言われています。

 

日本のマヨネーズ誕生について

1912年(大正元年)、後にキユーピー株式会社の創始者となる中島董一郎(なかしま とういちろう)は、アメリカで缶詰の勉強をしていた時に、マヨネーズに出会います。

当時のアメリカでは、日常的に野菜サラダが食べられていて、調味料はマヨネーズでした。このマヨネーズが、とても美味しく、栄養価が高いということに気づいた中島董一郎は、日本人の栄養不足の改善や、体格向上を願い、欧米のマヨネーズと比べて約2倍の卵黄を使ったマヨネーズを作って発売しようと思い立ちます。

帰国した中島董一郎は、1918年(大正7年)に中島商店(現在:中島董商店)を設立し、カニやサバの缶詰販売を始めました。1919年(大正8年)には、調味料を主力とする食品工業株式会社(現在:キユーピー株式会社)を設立します。

そして、1923年(大正12年)に起きた関東大震災の復興をきっかけに、日本では洋風化が進みます。衣食住の洋風化が進むのを見て、マヨネーズが受け入れられる時がきたと確信した中島董一郎は、1925年(大正14年)3月9日に、ついに日本初のマヨネーズキユーピー マヨネーズ」を発売しました。ブランド名には当時、人気だったキャラクターの「キユーピー」を採用しました。
発売当時、マヨネーズの馴染みのなさや価格の高さ、そして当時の日本には、まだ野菜を生で食べる習慣はなかったことから、売れ行きは芳しくなく、整髪料のポマードと間違えられることもあったようです。初年度の売り上げは120箱(600kg)でした。

関連会社の中島商店が缶詰メーカーでもあったことから、カニやホタテの缶詰にマヨネーズをつけて食べる試食会や積極的な宣伝活動を行うことで、マヨネーズの認知度や売り上げは徐々に高まっていき、1941年(昭和16年)の年間出荷量は10万箱(約500トン)まで達しました。しかし、第二次世界大戦のために原料入手が困難になると、「よい原料がなければマヨネーズを作るべきではない」と製造を中止します。その後、終戦から3年後の1948年(昭和23年)には製造を再開します。徹底的な合理化によって、値下げをしたことで、マヨネーズの売り上げは急激に伸びていきました。

昭和30年代以降、キユーピー以外にもマヨネーズ製造へ参入するメーカーが出始めます。撤退したメーカーもありましたが、後発メーカーの味の素は、卵黄タイプのものを発売していたキユーピーに対抗して、全卵タイプのマヨネーズを1968年(昭和43年)に発売します。味の素製品の発売は、その後の日本のマヨネーズ市場が拡大する結果となり、現代の日本の食卓に欠かせない調味料となっていきました。

 

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