10月2日は「豆腐の日」です。「豆腐の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。
豆腐の日
「豆腐の日」は、1993年(平成5年)に、東京都千代田区岩本町に事務局を置き、日本を代表する豆腐製造業者を会員とし、豆腐製品の製造・品質・流通に関する研究・開発・教育を促進する日本豆腐協会が制定しました。
10月2日である理由は、「とう(10)ふ(2)」(豆腐)と読む語呂合わせからです。同様の語呂合わせで毎月12日も「豆腐の日」としています。
もっと豆腐を食べてもらいたい、豆腐に親しみを持ってもらいたいという思いをこめて、10月2日を記念日としたそうです。
豆腐の歴史
豆腐の発祥は中国
諸説はありますが「豆腐」のルーツは中国だと言われています。
16世紀の頃の中国の書「本草綱目(ほんぞうこうもく)」に「豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる」という記述があります。今から2千年以上も前の前漢の時代に、初代皇帝の孫である劉安(りゅうあん)が部下に作らせたのが、豆腐の始まりだとされています。しかし、豆腐について書かれた文献が唐の時代以降まで何もないことから、起源は前漢の時代ではなく、もっと歴史を下った唐の時代中期という説もあり、定かではありません。ただ、少なくとも唐代中期頃には、豆腐は造られていたと思われます。
豆腐の日本への伝来
中国から日本に豆腐が伝わったのは、奈良時代の頃に、中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされています。遣唐使によって日本に仏教が伝えられますが、それとともに寺院で使う食材のひとつとして豆腐が持ち込まれたのではないかといわれています。
実際に文献に初めて豆腐という文字が現れるのは平安時代の後期です。1183年(寿永2年)に書かれた奈良にある春日大社の神主の日記に、「春近唐符一種」の記載があり、この「唐符」が最初の記録といわれています。
鎌倉時代に入ると、禅宗が中国から伝えられます。禅宗では、修行の一環として肉や魚を避け、植物性の食品だけで作った料理、いわゆる精進料理(しょうじんりょうり)を食べるようになりました。不足しがちなたんぱく質を補うために、豆腐が重宝されるようになるのです。豆腐は精進料理の普及等にともない、貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代には全国的に広まっていきます。
江戸時代になると、それまでは主に僧侶や武士の食べ物であった豆腐は一般にも広まり始めます。
江戸時代に作られた狂歌に、「ほととぎす 自由自在に聞く里は 海屋に三里 豆腐屋に二里」というものがあります。この歌からも、豆腐屋がいろいろな場所に作られていたことがわかります。
1782年(天明2年)には、100種類の豆腐料理を紹介した豆腐専門のレシピ本「豆腐百珍」が出版され、豆腐ブームが加速します。翌年には続編が、その後付録までが出版されています。3冊に紹介されている料理の種類を合計すると約240種類にもなります。それだけ、江戸時代豆腐は幅広く使われる食材となっていたのです。