12月11日は「プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日」です。「プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。
プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日
「プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日」は1934年(昭和9年)12月26日に、アメリカのプロ野球との対戦のため、読売ジャイアンツの前身で日本初のプロ野球球団「大日本東京野球倶楽部」が創立されたことに由来します。
読売ジャイアンツは現存する中では日本最古のプロ野球チームです。
日本のプロ野球が誕生するまで
1931年(昭和6年)に、読売新聞社社長「正力松太郎」が中心となって、メジャーリーグ選抜チーム(アメリカ)vs強豪大学チーム(日本)の試合を開催しました。メジャーリーグ選抜軍を日本に招待し、全日本代表チームや六大学を中心とした強豪大学チームとの試合を開催し、それが大盛況に終わります。
これを受けて「正力松太郎」は再度、メジャーリーグ選抜軍の招待と、前回に叶わなかった今でも「野球の神様」と謳われているベーブ・ルースの来日を目論みましたが、1932年(昭和7年)に文部省が発令した「野球統制訓令」によって、メジャーリーグ選抜を招待したとしても大学チームを対戦相手とすることはできなくなってしまいました。「野球統制訓令」が定められた理由は、大正時代から学校を中心として野球の普及と人気の拡大があり、大会の乱立や様々なかたちでの金銭の授受が行われるようなり、学生野球の「興行化」「商業化」「選手のマネキン化」などとして問題になっていました。そこで、文部省が学生野球の統制と健全化を目的に「野球統制訓令」を定めることになったわけです。
そこで、大学チームがだめならば職業野球チームを結成しようという考えが生まれます。1934年(昭和9年)6月9日、当時の有力実業家によって作られた法人団体「日本工業倶楽部」で「職業野球団発起人会」が開かれ、翌2日後の6月11日には創立事務所が設けられた。平行して選手獲得も行われ、プロ契約第1号選手として6月6日付で「三原脩」、第2号選手として6月15日付で「苅田久徳」を獲得するなどチームが形作られていきました。
1934年(昭和9年)10月15日、千葉県の谷津海岸に新設された谷津球場に30名の選手が集まり、ついにチームは結成されます。同年の11月2日、横浜にメジャーリーグ選抜チームが来日し、全日本代表チームと親善試合が行われました。試合は全日本代表チームの15戦全敗という結果でしたが、ベーブ・ルースらを擁したメジャーリーグは読売新聞の報道もあって大きな注目を集めました。
そして、同年の1934年(昭和9年)12月26日、この全日本代表チームの選手を中心にした選手19名で、「大日本東京野球倶楽部(だいにっぽんとうきょうやきゅうくらぶ)」が結成されました。これが、後に巨人軍の前身となるチームとなります。この日を記念して12月26日は「プロ野球誕生の日」「ジァイアンツの日」とされています。
「ジャイアンツ」と命名されたきっかけは、翌年の1935年(昭和10年)、今度は日本チームがアメリカ遠征を実現させます。しかし、チーム名が「大日本東京野球倶楽部」ということもあり、長すぎてなかなか覚えにくいと現地では不評でした。そこで、アメリカ現地でこのチームの顧問であったフランク・オドゥールが、ニューヨークジャイアンツに在籍していたことから「ジャイアンツ」のニックネームがつけられることになったのです。