【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

365日の記念日をわかりやすく紹介します。また、これはオススメと思った情報を発信します。

【12月31日 記念日】大晦日〜今日は何の日〜

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12月31日は「大晦日」です。「大晦日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

大晦日(おおみそか)

1年の最後の日です。「大晦(おおつごもり)」とも呼ばれます。新暦では12月31日ですが、旧暦では12月29日または12月30日になることもありました。1月から11月までの月末は晦日(みそか)と呼び、12月だけは大晦日(おおみそか)と呼びます。

 

大晦日の由来

晦日は「みそか」、「つごもり」、「かいじつ」と呼び、月の最後の日のことを指します。この「晦」という字は、月の形を表す「弦・望・晦・朔」に由来するもので、「晦」は月が隠れることを表します。旧暦は月の満ち欠けで暦が決まっていましたので、新月を1日とし、月が隠れる「晦」の頃がおおよそ30日であったことから、「三十日」を「みそか」と呼ぶようになりました。元々は三十(みそ)からきています。年齢が30才になると、三十路(みそじ)と言いますが、この三十路の三十と同じ意味となります。新暦に変わると、ひと月が30日または29日で終わらず、31日まである月も出てきた為、晦日が月の最終日となることが多かったこともあり、“月の最終日”という意味に変わりました。毎月の末日を「晦日」と呼び、晦日の中でも1年を締めくくる12月には大をつけて「大晦日」と呼ぶようになりました。

 

大晦日の行事

除夜の鐘

寺院では、12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に108回の鐘をつきます。

「除夜」という言葉の意味

「除夜」とは、「除日(じょじつ)」の夜のことを言います。「除」には、古いものを捨て新しいものを迎えるという意味があります。一年の最後、そして新年を迎える日を「除」の日であるので「除日」、そして「除日」の夜だから「除夜」とされます。

「108」という数字の意味

除夜の鐘は108回という数だけ、鐘をつきますが、この「108」という数字の由来は諸説がありますが、主に①人間の煩悩の数②一年間を意味する数③四苦八苦を意味する数の3つがあけわられます。

①人間の煩悩の数

人間にある108の煩悩を鐘の音で絶つためといわれています。人間の欲望はすべて、6つの感覚器官(六根)からもたらされるとされ、「眼(げん)」・「耳(に)」・「鼻(び)」・「舌(ぜつ)」・「身(しん)」・「意(い)」の6種からなります。そして、その6つの感覚器官から生まれる情報は、「好(こう:気持ちが好い)」・「悪(あく:気持ちが悪い)」・「平(へい:どうでもよい)」の3種の感情に分別されます。更に、その感情は「浄(じょう)」・「染(せん:きたない)」の2類があるとされます。最後に時間軸として「前世」・「今世」・「来世」の3種に分けられます。

6つの感覚器官(六根):6種

状態1:3種

状態2:2種

時間軸:3種

つまり、「6×3×2×3」で「108」となります。

②一年間を意味する数

一年間の月数である12、一年間の季節を24に分割した二十四節気の24、そして二十四節気を初候・次候・末候の三つに分けた七十二候の72を足すと、12+24+72で108になります。

③四苦八苦を意味する数

四苦八苦を取り除く意味として、四苦八苦を4×9+8×9=108として数える説もあります。

108回の鐘のつき方

107回目までは前年のうちに鐘をつき、最後の1回は、新年になる深夜0時につくとすることが一般とされます。ただ、寺院によっては一定ではないようです。

 

年の湯

大晦日の夜にお風呂に入ることを「年の湯」と言います。一年の垢を落とし、気持ち良く新年を迎えるという意味があります。今でこそ、毎日入浴することが当たり前ですが、昔は毎日のように入浴できなかった時代は、大晦日の入浴が特別なものとなったのでしょう。

 

年越し蕎麦

大晦日に縁起を担いで蕎麦を食べます。他の呼び方として、晦日蕎麦(みそかそば)、大年そば、つごもり蕎麦、運蕎麦、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くあります。「年越し蕎麦」を食べる習慣は江戸時代から始まったと言われています。蕎麦が細く長いことから、長寿や健康を願って食べられるようになりました。また、蕎麦の麺は切れやすいことから“一年の災厄を断ち切る”という意味もあるようです。

 

歳神様を迎え入れる

平安時代の頃より、大晦日は正月に迎え入れる歳神様(としがみさま)をまつるための準備の日でありました。歳神様とは、稲の豊作をもたらすとされている神様のことで、その年一年間を司る神様です。農作物が豊かに実り、食べるものに不自由することなく暮らせるようにと、昔から大切に扱われてきた神様です。また、歳神様は各家庭にやってくることから、家を守ってくれる祖先の霊とも考えられていたようです。