【わかりやすい】今日は何の日?

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【12月16日 記念日】紙の記念日〜今日は何の日〜

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12月16日は「紙の記念日」です。「紙の記念日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

紙の記念日

「紙の記念日」は1875年(明治8年)の12月16日に、東京・王子の「抄紙会社(しょうしかいしゃ)」(後の王子製紙株式会社 現・王子ホールディングス株式会社の前身)の工場で営業運転が開始されたことに由来します。

明治維新後、官僚でもあり実業家でもあった渋沢栄一が、「あらゆる事業を盛んにするためには、人々の知識を高める書籍や新聞などの印刷物の普及が必要である。その為には安価で大量印刷が可能な洋紙製造をすべきである」と考えます。そして、渋沢栄一は1873年(明治6年)に、「抄紙会社」(後の王子製紙株式会社 現・王子ホールディングス株式会社の前身)を創立しました。1876年(明治9年)5月に「抄紙会社」から「製紙会社」へと改称。そして、1893年(明治26年)11月には、商法の施行に伴って同法に基づく株式会社に改組するとともに創業地の名を冠して「王子製紙株式会社」へと改称しました。

 

紙の歴史

人はいつから紙を活用するようになったのでしょうか。紙の歴史についてご紹介致します。

紙ができるまで

人間が文字を持たなかった頃、情報伝達手段は言葉だけでした。しかし、人から人へ伝わっていく間に、元の情報とは違った内容が伝わる事がありました。そこで、身近な縄に結び目を作ったり、着色したりして、記憶の手助けにしました。これを結縄(けつじょう)といいます。

そして、記号から文字が使われるようになってからは、身近で手に入りやすい材料に書き記しすようになりました。亀の甲、獣の骨、石、粘土板、ヤシの葉、羊皮、パピルスなどがありました。

パピルス

古代エジプトでは「パピルス」という草の茎を薄く裂いて、縦・横に並べ圧力を加えて脱水し、乾燥させたものです。英語のペーパー(paper)の語源にもなっています。

羊皮紙(パーチメント)

羊の皮などを、毛が抜けやすくするため液に漬けてから毛を削り取り、木枠に張って乾かし、表面を磨いたものです。主にヨーロッパで使われていました。紙がヨーロッパに伝わるまでの1400年以上もの間に使われていました。

粘土板

メソポタミア文明が栄えた頃、柔らかく湿った粘土を板状にし、葦(あし)の茎などでくさび形文字を記してから、乾燥させたり焼いたりして文書を保存しました。

木簡(もっかん)・竹簡(ちっかん)

古代中国で書写材料として使われていた木や竹でできた札(簡)です。紐などで何枚かを束ねて使うこともありました。日本でも、古代の遺跡などから木簡が発掘されています。

紙の誕生

中国の遺跡から紀元前141年以前の紙が発見されましたが、まだ文字が書けるほどの紙ではなく、麻布と同じように銅鏡などの貴重品を包むのに使われていたと考えられています。この頃の中国では、書写材料として木簡や竹簡、絹などが使われていました。しかし、かさばって保存に適さず、また、絹は高価で大量に使うことができませんでした。
後漢時代(25年~220年)の皇帝が宮中の御用品製造所の長官だった蔡倫(さいりん)に"かさばらず費用のかからない書写材料の研究"を命じました。そして蔡倫は105年、書写材料に適した紙を完成させます。これが情報を書きこめる機能をもつ「蔡侯紙(さいこうし)」を発明します。この「蔡侯紙(さいこうし)」こそが歴史上初めての紙と言われています。

紙の日本への伝来

奈良時代の610年に高句麗の僧であった曇徴(どんちょう)によって、日本へ正式に紙の製造法が伝わりました。しかし、それ以前には紙そのものは日本へ入ってきたと考えられています。日本に伝えられた紙は、改良を加えられ、より完成度の高い紙へと発展します。日本で最初に、紙の需要が高まった一番の理由は、仏教を広めるためだとされています。写経の書写材料として用いられていました。伝来当初、使われていた材料は「麻」でしたが、その後「コウゾ」や「ガンピ」などの植物も原料として使われるようになり、紙を抄く方法にも独自の改良が加えられ、日本オリジナルの「和紙」として発展していくこととなります。

最初は写経だけに使われていた紙ですが、平安時代になると貴族の間で行われた和歌、漢文、書などに用いられます。質のよくない紙は衰えて、ジンチョウゲ科の植物である雁皮(がんぴ)から作られる和紙である「雁皮紙(がんぴし)」の利用が広まりました。京都には「紙屋院(かみやいん)」という官立の製紙工場も建てられています。その後、鎌倉時代から室町時代にも紙は発達していきますが、まだ一般の人には手の届かないものでした。
江戸時代になると、紙は一般の生活にも入り込んでいきます。農民の副業として紙漉きが各地に広まり、生産量が増大したことにより、庶民でも紙を手に入れることができるようになりました。それにともなって、襖や和傘、提灯・扇子など建築・工芸材料にも用途を広げていき、紙は生活に欠かせない材料になっていきます。また、文化面でも紙の需要は高まり、瓦版(かわらばん)、浮世絵、かるた、などにも和紙が用いられ、和紙は江戸時代に最盛期をを迎えます。

洋紙の発達と確立

奈良時代の頃の751年、に中国の唐とイスラムのサラセン王国の間で、戦争が起こりました。
この戦争で唐が負け、多くの将兵が捕虜になります。この中に腕のよい製紙技術者が含まれていて、サラセン軍により紙漉きを強いられます。これが中国の紙の技術が伝わった始まりとされています。これがペルシャやスペインにまで知れわたり、ペルシャ王は唐から正式に製紙技術者を招き、紙の生産を開始します。さらにアラビア東海岸、シリアにも製紙工場が建設されます。 900年頃にはパピルスの発祥地であるエジプトに製紙技術が伝わります。その技術は1040年にはアフリカのリビアへ。1100年にはモロッコへと到達。そして、1189年に製紙はフランスへと伝わり、十字軍によってヨーロッパへ初めて紙がもたらされました。この頃のヨーロッパには紙の原料が少なく、安く手に入るボロ布が代用品として使われていました。1450年頃に、グーデンベルクが活版印刷を完成させると、各地で印刷出版がさかんになり、イタリアで興ったルネッサンスをあいまって、紙の需要は増大します。大量生産を求め、紙は機械によって漉かれるようになりました。

17世紀初め、ヨーロッパでは紙の原料であるぼろ布が急騰し深刻な社会問題となりました。ぼろ布に代わる原料の摸索の中で、1719年にフランスのレオミュールはスズメバチの巣をヒントに木材で紙を作れるのではないかと提案しました。試行錯誤の末、1765年にドイツ人のシェッフェルが実際にハチの巣から紙を作り、1840年にドイツのケラーによって木材繊維を機械的に製造する方法が発明され、その14年後には木材パルプの大量供給ができるようになりました。これが木材パルプを使用した製紙の時代の始まりです。

日本の近代製紙産業

日本に洋紙が伝わってきたのは明治時代にアメリカから入ってきました。1872年(明治5年)に、日本で最初の製紙会社である有恒社が創立され、1874年(明治7年)に操業を開始しています。1875年(明治8年)の12月16日に、東京王子の抄紙会社(1873年創立)で操業が開始されました。最初は大部分を輸入に頼っていましたが、1889年(明治22年)に国産パルプの製造が開始されると大型の製紙工場が次々と建設され本格的に生産されるようになりました。