【わかりやすい】今日は何の日?

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【12月17日 記念日】飛行機の日〜今日は何の日〜

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12月17日は「飛行機の日」です。「飛行機の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

飛行機の日

「飛行機の日」は、1903年(明治36年)12月17日に、アメリカのノースカロライナ州のキティホークで、ライト兄弟(兄:ウィルバーと弟:オーヴィル)が12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号によって、世界で初めて有人動力飛行に成功したことに由来します。

 

ライト兄弟の生い立ち

ここでいう「ライト兄弟」とは、兄のウィルバーと弟のオーヴィルのことを指しますが、厳密にはライト家には7人の兄弟がいましま。三男にウィルバー、六男がオーヴィルとなっています。

ライト兄弟は牧師のミルトン・ライトの息子として生まれました。父はとても信仰心の強い牧師で、彼の信仰心はライト兄弟にも受け継がれました。ライト兄弟が工作に興味を持つようになったのは、母方の祖父の影響によるものでした。祖父は職人で、祖父の家には多くの工作機があり、幼少期からそれらに触れる機会が多くありました。ライト兄弟がものづくりに目覚めたきっかけは、1878年(明治11年)の冬、母と共に"そり"を作ったことにあります。友達が親に買ってもらった"そり"で遊んでいるのを見て、自分たちも欲しいと母に頼みましたが、裕福な家庭ではなかったため、母は"そり"を自作することをライト兄弟に提案します。母はライト兄弟に設計図を作らせて、その設計図を元にして、子供たちだけで"そり"を作らせました。完成した"そり"は友人たちのものとは形が違いましたが、空気抵抗が軽減されたライト兄弟の作った"そり"は、圧倒的なスピードを出すことができました。

飛行機の開発をする前、ライト兄弟は凧を作って販売したり、印刷業を営んだりしていました。1892年(明治25年)より移動手段として主流となりつつあった自転車に目を付け、自転車の修理屋を始めます。当時の自転車はまだ完全なものではなかったため壊れやすく、修理屋は大繁盛でした。自転車の修理屋を営む2人ですが、幼少期に父からヘリコプターの模型を貰ったことで、空を飛ぶことに憧れを抱いていました。当時、多くの発明家が空を飛ぶことに挑戦していましたが、成功した人はいませんでした。ライト兄弟はその失敗点を「安定性の欠如」と「操縦の難易度の高さ」として研究を始めます。

最初に取り組んだのはグライダー作りです。乗る位置を前後させたり、翼の数を増やしたりと、様々な工夫を凝らしながら多くの実験を続けました。10日間の実験で700回も飛行実験をしたライト兄弟は、飛行データと共に操縦技術も身に付けました。

その後、原動機を乗せた飛行機の開発に着手します。当時の原動機は蒸気機関が主流でしたが、蒸気機関はとても大きく重いため、飛行機には合わず、ガソリンエンジンを改良して載せることにしました。しかし、改良してもエンジンの出力はわずかであった為、プロペラを回転効率を上げることに注力しました。

1903年(明治36年)12月14日、プロペラを載せた初の飛行実験を行います。この時は3.5秒間、距離は32mしか進むことが出来きなく、失敗に終わりました。そして、その3日後の1903年(明治36年)12月17日、まず弟のオーヴィルが搭乗し、12秒間で距離30mを飛び、続いて兄のウィルバーが59秒間で260mの飛行に成功しました。この時の飛行機の名前は「ライトフライヤー1号」。水冷式12馬力のエンジンに、木製のプロペラが2枚、重量は70キログラムで、翼面積は47.39㎡でした。ライト兄弟はこの機体にさらに改良を加え、2年後には38分間で距離45kmを飛ぶ本格的な飛行機を作りあげています。

しかし、ライト兄弟は自分たちの飛行機が確かに売れると思えるものになるまでは、秘密裏に改良を進めていきました。このような秘密主義が災いし、当時の科学ジャーナリズムから疑いの目で見られ、専門家仲間からも一般大衆からも正当に評価されない時期が続きました。そこで、ライト兄弟は1908年(明治41年)にフランスのル・マン近くの競馬場で、ようやく公開飛行に踏み切りました。翌年の1909年(明治42年)には、ニューヨークで公開飛行して群衆を圧倒しました。

同年の1909年(明治42年)にライト兄弟は「ライト社 」を創業します。しかし、航空機という魅力的な新産業に資金と有能な人材が流れ込むにつれて、ライト兄弟はライバルたちの急激な追い上げに見舞われます。1912年(大正1年)に兄のウィルバーが腸チフスで亡くなると、残された弟のオーヴィルは激化する競争や、長期にわたる特許侵害訴訟との格闘を強いられ、1915年(大正4年)に会社を売却しました。それから33年後の1948年(昭和23年)に弟のオーヴィルは心臓発作のため亡くなりました。2人はアメリカのオハイオ州のデイトンにあるウッドランド墓地に、長兄ルクランを除く家族と共に埋葬されています。2人とも生涯独身でした。