【わかりやすい】今日は何の日&雑ブログ

365日の記念日をわかりやすく紹介します。また、これはオススメと思った情報を発信します。

【2月22日 記念日】猫の日〜今日は何の日〜

f:id:glay1977:20210827143703p:image

2月22日は「猫の日」です。「猫の日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。

 

猫の日

1987年(昭和62年)に、愛猫家の学者・文化人で構成される猫の日実行委員会ペットフード工業会(現:ペットフード協会)と協力して制定されました。

2月22日である理由は、猫の鳴き声「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」と読む語呂合わせからです。

「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で制定されました。

猫の日実行委員会は、ペットブームの中、猫好きの英文学者柳瀬尚紀(やなせ なおき)らが発足したもので、「猫の日」は全国の愛猫家からの公募により選定され、9000通の応募の中で約3割を占めた「2」が3つで猫の鳴き声「ニャン ニャン ニャン」となる2月22日に決定されました。

 

日本における猫の歴史

と人間の関わりはおよそ9500年前、中東付近でのリビアヤマネコの家畜化がはじまりとされています。そしては古代エジプト王朝からヨーロッパ全域、さらにアジアにも広まり、その後中国を経て日本に渡ってきたという説が有力です。

日本猫を含むすべてのイエネコの祖先は、2007年(平成19年)に行われたミトコンドリアDNA解析により、中東砂漠地帯に生息していたリビアヤマネコであることが確認されました。日本固有種であるツシマヤマネコイリオモテヤマネコベンガルヤマネコの亜種であり、現在の日本猫とのつながりは見られていません。

猫が初めて現れるのは弥生時代

2008年(平成20年)に、長崎県壱岐市勝本町のカラカミ遺跡で、紀元前1世紀のの大腿骨など十数点の資料が出土しました。これが日本においてが確認された最初の遺跡となります。したがって、日本列島においてが初めて現れるのは弥生時代とされています。続く古墳時代では、猫にまつわる遺跡としては、2007年(平成19年)に兵庫県姫路市の見野古墳群からの足跡が付いた須恵器が出土しています。

ただ、『古事記』『日本書紀』などにもの記述は無いことから、古代に猫が日本に定着していたとは考えられていません。文献に初めて登場するのは『日本霊異記』です。705年(慶雲2年)に豊前国(福岡県東部)の膳臣広国(かしわでのおみひろくに)が死後に猫へ転生し、息子に飼われたとあるのが最初です。

猫が愛玩動物として飼われ始めたのは平安時代

が愛玩動物としての記述が見られるのは、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』『明月記』にも登場する平安時代からです。宇多天皇の日記である『寛平御記』には、「宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていた」という記述があり、これが日本初の飼育記録となります。また、現代の日本に残っている文物で、最も古いの絵は、平安時代末期の絵巻物『信貴山縁起絵巻』に描かれたとなります。

猫によって仏教の経典をネズミから守っていた鎌倉時代

鎌倉時代中期、北条実時が建設した武家の文庫『金沢文庫(かなざわぶんこ)』では、南宋から輸入したネコによって典籍をネズミから守っていたと伝えられています。鎌倉後期になると、猫の存在はさらに広まり、藤原長清が記した私選和歌集『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』には「のらねこ」の表記があり、野生化した猫の存在があったこともうかがわせます。

室町時代に猫は縄から解放?

豊臣秀吉を可愛がっていたようで、1593年(文禄2年)10月頃、大坂城で秀吉がことのほか可愛がっていた猫が行方不明となりました。そこで浅野長政に頼んで色々に行方を尋ねさせたことがあるそうです。

は日本に伝来して以降、貴重な愛玩動物として扱われていて、ネズミを退治する益獣としての使用は限定されいたようです。かつてはは縄で繋いで飼育する動物であったようであり、絵巻物等には紐・綱等でつながれて逃げないように飼育されているの様子が多数描かれています。

このような猫の飼育方法に変化が生まれたのが、1600年代の初頭です。1602年(慶長7年)には、ネズミ対策として洛中の猫の綱を解き放つことを命じる高札が出されました。この効果は大きかったようで、ネズミの被害が激減したと言われています。

「招き猫」は江戸時代の養蚕農家にルーツ?

江戸初期頃は、まだが広く繁殖するまでには至っていなかったようです。この時代は、本物のが貴重であるため、ネズミを駆除するためのお守りとして、の絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいたそうです。養蚕農家の天敵は、蚕を食い荒らすネズミだったため、は一種の守り神にも近いものでした。蚕を食べ荒らすネズミの天敵のの石像を神社に奉納したり、路傍や畑の畔などに置いてネズミ除けを祈りました。は保食神などの養蚕神の神使ともされ、猫神養蚕守護神ともされて、ネズミ除けと豊蚕が祈られました。これが、現在の「招き猫」のルーツともされています。