10月30日は「たまごかけごはんの日」です。「たまごかけごはんの日」に関係するトピックスを紹介します。朝礼やその日のネタにでもなれば幸いです。
たまごかけごはんの日
「たまごかけごはんの日」は、島根県雲南市の日本たまごかけごはんシンポジウム実行委員会(旧:日本たまごかけごはん楽会)が制定しました。
10月30日である理由は、2005年(平成17年)の10月30日に、第1回日本たまごかけごはんシンポジウムが開催されたこと。また、新米のご飯が食べられる、鶏にとっても過ごしやすくなる、新しょうゆが出回る、この3つの時期が重なる10月が卵かけご飯を最もおいしく頂ける時期であることに由来します。
日本たまごかけごはんシンポジウムは、「一杯のたまごかけごはんに秘められた悲喜こもごものエピソードや思い入れ」「家族で囲む食卓」「米飯食への想い」「卵の思い出」「スローライフ・スローフードの考え方」「食育」「歴史学・民俗学」など、様々な見地から思う存分語り、表現することで、「日本古来の食の素晴らしさ」「家族」「ふるさと」など忘れがちなものへ目をむけるひとときを持つこと、そしてシンポジウムの事前事後を含め米食の普及、鶏卵の普及をグランドテーマとして発信することを目的としています。
「たまごかけごはん」の歴史
古来より、日本人が食する動物性の食品は、魚介類が中心でした。仏教の影響下で、たまごを食べること=殺生、とされていました。家畜化された鶏は弥生時代に豚とともに日本列島へ伝来しますが、天武天皇・聖武天皇の代には鶏をはじめとする殺生禁断令の詔が発せられ、鶏のたまごも避けるべきとされました。
この殺生という概念を覆したのは、戦国時代から江戸時代にかけて、西洋人が来航した西日本において、肉食とともにたまごを食する文化が伝来し、カステラやボーロなど鶏卵を使用した南蛮菓子やたまご料理が広まったことです。愛玩用の鶏が産んだたまご(無精卵)が孵化しないことを受け、「たまごは生き物ではないから殺生にならない」と解釈され、たまごを食べるようになったと言われています。
加熱調理していない生のたまごをかける「たまごかけごはん」を食べるようになったのは、画家の岸田劉生の父で事業家の岸田吟香(きしだ ぎんこう)が、たまごかけごはんを食べた明確な記録が残る日本で初めての人物とされています。岸田劉生の様子を記した1927年(昭和2年)発行の雑誌「彗星江戸生活研究」によると、味付けは焼き塩と蕃椒(トウガラシ)でした。
近代に入り、食生活の欧米化が進み、たまごや肉、乳製品の摂取が推奨されました。栄養価も高く安価なたまごが健康の象徴になり、生卵を食べる事が一般化するなかで、たまごかけごはんも一般に広まっていったと言われています。